こういう綺麗に上昇しているチャートを見て、
「ここで買っていたら、今頃大勝ちしているのになぁ~」
と思ったことは、ありませんか?
僕は、もちろんありますよ。ありますとも。
トレードを始めた頃に比べれば、回数は減りましたが、
いまだに「たら・れば」を考える癖は抜けません。
次に載せるのは、僕が実際に「たら・れば」を考えた
最近の豪ドル米ドルのチャート(1時間足)です。
1つ目の赤四角で買い、
2つ目の赤四角で売り決済したトレードでしたが、
決済した直後どうなったか。
ご覧の通り、伸びてるー。
上昇を狙った判断自体は合っていました。
この結果を知ったとき、僕が思ったのは、
「ここ(=2つ目の赤四角)で損切らなければ、勝ってたのに・・・」
でも、現実はというと、
ここで損切って、ポジションは決済しているから、
このトレードでは負けているし、
最初のチャートの例に戻れば、
ここで買っていないから、大勝ちしていません。
(´・ω・`)
自分にとって都合の悪い出来事が起こると、
ついつい「たら・れば」について考えてしまいます。
「たら・れば」の誘惑に負けて、
“タラレバの世界”を考えることは、
とても困ったことに、非常に心地良いのです。
上の二例からわかるように、“タラレバの世界”を考えれば、
都合の悪いことから目を背けられるからです。
「たら・れば」の後には、
自分にとって良いことしか、起きないのですから。
・買ってい“たら”、大勝ちしている
・損切りしてなけ“れば”、勝っている
ね。
大勝ちすることも、勝つことも、
概ね良いことだと言えましょう。
反対に、「買っていたら、大負けしているのに~」
とは考えないところが、人間の脳みその面白いところでもあります。
「たら・れば」の誘惑は断ち切りにくい。
それは、僕自身の経験からも実感しています。
でも、タラレバの世界にいる限り、
何も変わりません。絶対に。
よしんば、「よし! 次はがんばるぞ!」と、
福原愛ちゃんのように、胸の前で小さくガッツポーズしたって、無駄です。
運良く、今回と同じような状況が巡って来たとしても、
自分の実力が今回と何も変わっていなければ、
おそらく機会を見逃すことでしょう。
で、また「あぁ、ここで買っていたら(以下、省略)」
と、タラレバの世界へ戻っていきます。
「よし! 次はがんばるぞ!」なんていう
精神論にすがっている限り、
「よし! 次はがんばるぞ!」
⇒チャンスを再び見逃す
⇒「ここで買っていたら(以下、省略)」
「よし! 次こそはがんばるぞ!」
⇒チャンスを三度見逃す
⇒「ここで買っていたら(以下、省略)」
⇒・・・
という無限ループの中です。
精神論でどうにかなる問題なら、
とっくのとうに解決できているはずです。
じゃあ、どうすれば、
“タラレバの世界”の先へ行けるのか。
無限ループから抜け出すことができるのか。
「たら・れば」の前にある言葉「買っていたら」を、
「じゃあ、どうすれば買えるのか?」に変えるのです。
「じゃあ、どうすれば買えるのか?」
という質問を真剣に考えます。
具体的には、チャートを印刷し、
買いたいポイントに赤丸をつけ、
「どうすれば、ここで買えるか?」と書く。
この赤丸は、説明の参考にチャートに記入しただけで、
実際に買いポイントになるかどうかはわかりません。
買いたいポイントを書き終えたら、
この紙を普段目につくところに置いておきます。
1週間くらい経てば、
何らかの答えが出るでしょう。
もし答えが出なければ、
今の自分には無理なポイント(=ムリポ)と割り切り、
さっさとあきらめた方が良いと思います。
「たら・れば」を考えているときには、
何の役にも立たない脳みそですが、
「じゃあ、どうすればいい?」を真剣に考えれば、
非常に役に立つ脳みそ。
「たら・れば」はトレードに限ったことではなく、
マラソンについても同じく言えることです。
「故障しなければ、もっと速く走れるのに」
と思っているだけでは、何も変わりません。
「故障しないようにするには、どうすればいい?」
と考え始めると、何かが確実に変わり始めます。
脳みそは、誰にも平等に1つ与えられています。
脳みそをどう活用するかは、あなた次第です。
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